橘玲 V.S. 門倉貴史 - マネーロンダリング

雪が降ったので家に一日いた。床暖房で身体の表と裏を両面6時間かけて焼きながら、偶然にも同じテーマの新書を二冊読んだ。

一冊目は、橘玲




さすが本家本元というべき、驚異的な情報量と詳細な記述で、マネーロンダリング実態を重厚に語り尽くす。この人は実際にマネロンをやっているのではないかというほどの詳しさ。にもかかわらず、本書の表題は「入門」。まあこの値段の新書で出せるぐらいの情報ですから、実際の闇取引やオフショアなんてのは想像を絶するのでしょう。「はじめに」より、

この本を読み終えたとき、読者はマネーロンダリングが世界の仕組みを変えつつあることに気づくだろう。それをどのように役立てるかはあなた次第だが、少なくとも「山口組の指南役」ぐらいにはなれるはずだ。

というのも言い過ぎではない。

二冊目は、最近新書界でヒットを飛ばすとされる、門倉貴史





こちらは比較的軽快に語り、概略をわかりやすく説明する。大枠を捉えるにはもってこいかもしれない。

二冊を続けて読んで、両者には共通する内容が多い。身近なところで言えば、ライブドア事件村上ファンドだし、北朝鮮のウルトラダラーあり、プライベートバンクからBCCI(バンク・オブ・クレジット・アンド・コマース・インターナショナル)やらアフガニスタンアルカイダ、コロレス口座、地下銀行、ハワラ、イタリアマフィア。そして、偶然にも同時期に出版されている(橘:2006年11月/門倉:2006年9月)。にもかかわらず、両者には明らかな違いがある。

それは、橘がマネーロンダリングをクールに捉えているのに対し、門倉はあくまで犯罪として捉えている点である。

橘本p.75より、

金融とは、その本質においてグローバルなものである。そこに無理矢理国境という線を引こうとしたところに、制度の綻びの原因がある。

また、p.217より、

本書では、これ(マネーロンダリングが個人の「多国籍化」「無国籍化」の帰着であること)を道徳的な善悪の問題としない。

とあるように、マネロン自体に悪を見出さず、冷ややかともとれる仕上げになっている。一方、門倉は

終章 まっとうに働いた人が報われる社会にするには

と締め括っているように、アングラ経済の暗躍とマネロンを結びつけ、その問題点を見出すことに躍起になる。

マネロンというテーマに絞れば、これは橘の方に軍配があがるのは自明の理で、門倉はもともとアングラ経済BRICsを専門とするマクロ経済の人間である。たとえれば、橘は男子水泳の選手、門倉はトライアスロンの選手といったところである。もともと比較するほうがおかしいのかもしれない。
それでも、橘の金融的視点から見た「事実」と門倉の経済からみた「感情」はどちらかが間違っているともいえない。確かにマネーロンダリングや脱税は国という極めて曖昧で恣意的な境界によって犯罪と定義されているような行為であり、本質的には人殺しなどの人道的犯罪とは一線を画している。ただ、一般人から見たとき、数千億ドルという巨額の金が今日も地球上の金融ネットワークを飛び交いながら、少しずつ稼ぎの一部が吸い出されていることに怒りを覚えない人はいないだろう。

ドルが崩壊し情報が地球上を自由に行き来できるようになったとき、我々はどのようにして貨幣と価値を保持し続けるのだろう。