オープンソースについて考えています

これは、良書でした。

オープンソースワールド 川崎 和哉


オープンソースについては仕事上、そして趣味上よく知っているつもりでしたが、改めて考えてみようと思ったところ、実は細かい歴史や登場人物、文献等について何も知らなかったことに気づき、紀伊国屋に駆け込んで手に入れたのがこの一冊。何気なく手にとっただけなのですが、読んでみると内容の充実に満足。連休で一気に読み終わってしまいました。

ストールマンFSFネットスケープ、「伽藍とバザール」について名前ぐらいは知っている人も多いと思いますが、それらの点を線で結べと言われると困るのではないでしょうか。オープンソース文化を体系的に、また時系列的に整理できるという意味ではこれは良書といっていいと思います。内容は若干古く、時代的には「ネットスケープの失敗」で終わっているのですが、その後のことはネットを調べればだいたいわかるので大きな問題ではないです。

自分が何について考えているかというと、オープンソースはなぜお金にならないかということについてです。オープンソースはお金になるというのが最近のそしてこの本の結論なのですが、ただしその方法はサポートやオープンソースインフラに載せた副次的なコンテンツに依っていて、ソフトウェアそのものの価値には一銭も払われていないわけです。明らかに、世界中の人がそのオープンソースソフトウェアの改善によってメリットを享受できるにもかかわらず、そこにはマネーが一切発生せずに、逆にサポートなどその上に乗った人々にお金が発生するというのは、歪だと思うのです。少なくともソフトウェアを書く人間としては。

ハッカーはお金に興味がなくて知的欲求を満たされるからそこにはお金が発生しないのだという主張は正しいですがそれだけではキレイ事だと思うわけです。自分の果たした役目についてお金をもらえるのであればもらえた方がよいに決まっているし、またお金によって価値を評価されることもまた、承認欲求を満たすはずなのです。

ビル・ゲイツはソフトウェアの存在価値についてよく知っていた。だからこそ、ソフトウェア・ライセンスビジネスというものを確立した。そのこと自体はとても評価されるべきだと思うんですよね。但し、やり過ぎた。だから、その不自由で独占的な体制に怒りを覚えた原理主義的な人々がソフトウェアは本来フリーであるべきだと唱えた。ある意味ダンピングだとも思うわけです。今のところ、そういう方法でしか帝国の牙城を崩すことができなかったというだけのことであって、本質的にソフトウェアがフリーで無償でお金にならないというのは少し変だなというのが今のところの自分の見方です。

そんなこんなでこの興味深い世界についてはまだまだ足を突っ込んで見ようと思いますが、オープンソースはお金とか情報とか価値とか人間の自然な欲求とかそういうものを複合的に考える上ではとても良い文化です。大学とかでぜひこれを体系的に教えるべきだと思うのですが、自分の知る限り2001〜2004の頃には、そんな授業はありませんでした。フェミニズムも大事だけど、プログラミングと広告と政治とアートと文学と看護が同居する大学にこそ、オープンソース文化についての授業が必要なんじゃないかなあと(今はあるのかも)。