iPadがパーソナルコンピューティングを終わらせる

iPadがアメリカで発売になり、日本語でのレビューも活発に行われているようです。その中でも、江島さんのこの記事は秀逸ですね。

iPad初体験レビュー:Kenn's Clairvoyance - CNET Japan

特にこの部分が自分にとっては革新的でした。

良かったところのなかでも特に新鮮だったのは、大画面+マルチタッチだと複数人で一緒に何かをするのが楽しいという点です。先程も友人たちと四人で、テーブルの真ん中にiPadを置いてマップを広げ、あそこのカフェが良かった、こっちのカフェも良かったよ、というような情報共有をしたのですが、どの椅子に座っている人でも手を伸ばしてマップを操作すればサクサクと地図を動かせて、ズームしたり、ピンを置いてストリートビューでカフェの外観を見てみたり、という操作が当たり前の感覚で自然に行えたのは、ノートパソコンとは完全に別次元の感動的な使い心地でした。エアホッケーや将棋のように対面の二人でプレイするゲームなどにも最高のデバイスでしょう。

1990年以降のコンピュータのパラダイムは、ビルゲイツが掲げた「全てのオフィスデスクに1台のコンピュータを置く」に代表されるパーソナルコンピュータの時代だったように思います。多人数で使うものだったコンピュータがパーソナルデスクトップになり、携帯電話の登場とチップの微細化に伴ってデバイスはどんどん小さくなることでiPhoneのような、個人が自分で使うデバイスへと進化を遂げていきました。例えば以下の記事、

モバイルエロスの可能性 - 眼鏡とgamellaのサブカルパジャマトーク 第15夜 - Future Insight

自分が密かに尊敬して止まないid:gamellaさんのサブカルパジャマトークはいつも新鮮なものの見方を提示してくれますが、モバイルエロスなんてまさに個人×コンピュータの行き着くべきゴールなのではないかと考えたりしていました。

そこへきて冒頭のiPadのレビューを読んで、なるほど、と思わされたのは、iPadが個人よりも複数の人間を挟んで使われることに特化しているという点。机に座った対面する夫婦が例えばインテリアレイアウトを決めるのにiPadを使ってグリグリテーブルを移動したりソファを追加したりして話合っていく、みたいなストーリーが一番しっくりくるのだと思います。

1982生まれの自分の中で、この線に載る最古の記憶といえばインベーダーゲームです。喫茶店でヒマな二人が机を挟んでモニタをのぞき込みゲームをする、そういう感覚は実はパーソナルコンピュータの進化によってほとんどなくなっていたのではないかと思います。ソーシャルコンピューティングといえば仮想世界で行うものという常識が現代人にこびりついていると思いますが、顔を合わせてコミュニケーションをする、それによって意志決定を行っていくことに勝るソーシャルアクティビティはないはずなのです。

そういう視点に立ってみると、iPad向けのソフトウェアはこれまでと一線を画さなければなりません。アプリはこれまでのiPhoneアプリのような個人向けゲームやTwitterクライアントのようなものより、上で述べたインテリアレイアウトを決めるためのアプリ、みたいなものが出てくるだろうし、Webにしてもどこに旅行に行くかを話合いながら決められる宿検索、などのサイトを作らなければなりません。実装のことを言えばマウスが一つしかない環境を想定したUIではなく、同時に複数のタッチがインプットされるようなUI、イベントモデルを構築していくのでしょう(実際にiPhoneのontouchstartイベントはevent.touches[n].pageXみたいな値を扱わなければならない)。

ウェラブルコンピューティングなんていう死語も懐かしいタンスの匂いがするぐらい熟成されてきたこの2010年において、iPadの登場は衝撃です。