わからなければわかるまで話すか、諦める

この間@gamellaさんのところで「ライフスタイルの多様性を考える」と題したアンケートを掲載してもらったのでまだの方はぜひご一読ください。一度日本というか東京を離れて感じていることをアンケートという形で浮き彫りにしてみると自分にも発見があって面白いですね。

そんなわけでこの前@gamellaさんがこちらに来たときにも話したのですが、最近自分が感じていることとして、ここでのコミュニケーションが日本に比べると薄いということがあります。ベイエリアという場所はアメリカの中でも特殊だと思いますが、とにかく非アメリカ人の比率が高い。お互い英語で喋ってはいるけれども、抱えているバックグラウンドや幼少時の記憶なんてほとんど共有できないわけです。例えば日本人同士で今30前後の人だったら、「じゃじゃ丸、ぴっころ、ぽろり」はわかるわけですけど、職場でそういう話をするためにはまずNHKがどんな放送局で「お母さんといっしょ(TV JapanではWith Mother)」がどのような影響を子供に与えているかなどを説明しなければならないわけです。そんなめんどくさい話を英語でするなんてすごいと思うかもしれせんが、実際そんなことを説明できるほどの英語力もないのでしたことはありません笑。

インド人はほぼネイティブでしかもアタマの回転が早いのか単に早口なのかわかりませんがすごいスピードで喋ります。アメリカ人とトップスピードで会話しているのを横で聞いていて、「この人達はこれだけの言葉をかわしているのだからきっとお互いの意思疎通がとれているんだろうなあ」と思ったりします。たまにこちらにもすごくよくわかる内容のときがあると逆に「え、この人そんなこともわかってなかったのか」と突っ込みたくなる内容を何度も聞き返したりしています。日本だと、「空気読めよ」で終わるところが、全然終わらないんですね。

なので、わかるまで説明する。本当に何度も説明する。話が通じないのはわからせる方の責任でわからない人が恥ずかしいと思う必要はほとんどない。でもやっぱりわからないことってありますよね当然。そういうときはどうするか。諦めますね。すっぱりと。

日本にいたときに特にビジネスの場でよく思ったのは、「腹の探り合い」というやつで、「こっちがこういう話で筋を通したのだからここが落としどころだっていうことはわかるよね」みたいなことがよくあったのですが、そいう「わかるよね」みたいなことをこっちで勝手に思っているとほんとうにわかってなかったみたいなことがよくあるので、これこれこういう理由でこれは駄目だからこうしようねってことを僕は言ってるんだけどそれでいいよねって聞いてYesって答えをもらえるまではちゃんと話をしなきゃだめだなあ、と最近思ったりしたのでした。

そういう前提の会話だとまず怒るということがない。というかこっちで怒っている人を見たことがない。日本にいたときにどういうときに怒っている人を見たかというと、例えば向こうは「こうするべきだろう」と思っていてこっちはそんなことお構いなしに違う方向に言ったりすると、「なんで先に言ってくれなかったの」とかもっとひどいときには怒っていることすら言わないで「怒ってるのわかるよね」という態度で示されたりする。ここではそういうのはまったくないので不満があればいちいち説明しにくるしそうなるまえに徹底的に念を押されるしそれで期待に応えてくれないときは諦めるとかその人をその後信用しないとかそういう結果になるだけなのです。

以前よく思ったのは日本の首相ってよく「漢字もかけないから駄目」とかすぐ揚げ足をとられるじゃないですか。それって「漢字って小学生の時に勉強したよね」とか「そんなこともわからずに首相やってるんですか」みたいな減点制なんだと思うんですけど、やっぱりそういうのは日本が単一民族単一言語の国家ゆえんのことではありそれはそれでユニークだから否定しないほうがいいのだと思うのですが、コミュニケーションに疲れますよね。コミュニケーションが濃いだけに期待が高いし期待が外れるとすごく怒る。

コミュニケーションが濃い方が生産性は高いというのは当然だと思います。だいたい日本がここまで経済発展を遂げているのはやっぱりそのおかげだと思うんですよね。世界中の国を見渡しても例えば中国みたいに10億人いても1億人しかいない日本と同じ5兆ドルしか稼げないのはその辺に起因するような気がします。ただ、このベイエリアに限って言えばそれだけコミュニケーションロスがあるにもかかわらず生産性はとても高いと思います。コミュニケーションレベルが低いことがよくわかっているので他の方法で予測精度を上げたりバックアッププランを用意したりしてリスクヘッジします。だめならすぐ他の手段をとったり妥協しますがその優先順位が明確だったりします(あ、優先順位の話もすごくしたいので別な時にします)。そういう風にすれば別にコミュニケーション濃度が薄くても生産性は上げられるというのがこの土地での試行錯誤の結果なんだろうと思います。

この辺の話は知識として知ってはいたけど身を以て体験するとやっぱり違うなあというのが最近の実感で、それだけでも来たかいがあるというものですが、まだまだ他にも書いておきたいことはたくさんあるのでまたそのうち。