ハッカー道


ここのところ毎日のようにBloomberg Westを見ているせいもあり、数週間にわたってベイエリアの話題はフェイスブックIPO一色かと思うほどだ。今回のIPOは、マークザッカーバーグという人物やSNSという新しいマーケットということもあるが、規模の面でも異色だったことは間違いない。フェイスブックIPOでミリオネア=資産一億円が何人生まれたかご存知だろうか。およそ1000人である。ミリオンダラーを抱えた彼らがパロアルトの本社を中心に新居を探し始めたら、ウチの賃貸価格が跳ね上がることは間違いない。ただでさえ5年で二倍になったという話もあるぐらいである。全く人ごとではない。
そんなミリオネアを1000人出しても、あるいはInstagramを$1Bでザッカーバーグが「つい」買って来てしまっても、この会社の価値は先週の株式公開で約$100Bになったのでびくともしないわけである。公開前は$25から$32ぐらいと目論んでいた株価は、蓋を空けてみれば$38。NASDAQがソフトウェアエラーで売り出しが遅れたとか幹事会社のモルガンスタンレーが裏で買い支えたとかいろいろな話が出て盛り上がっているが、週明け火曜の今日の段階で早くも$30前後を低迷している。遠目に見ても金の匂いを嗅ぎ付けた大人達に囲まれたザッカーバーグの裸神輿っぷりが目に余る。そのぐらい今回のIPOはお金の話がついてまわっている。
Instagramといえば、NYTで読んだと思うのだが、創業者はもともとスタンフォード時代からFBの幹部やザッカーバーグとは知り合いだったようで、株式公開を直前に控えた春先にちょっとあめ玉でも買ってくるわ、みたいなノリでザッカーバーグが独りで話を纏めて来たのもなるほどと思わせた。売り上げゼロ、社員10数名、創業二年の会社が$1Bはどう考えてもおかしいので、逆にそういうもともとの人脈の話を聞くと納得がいってしまったのである。
そんなザッカーバーグの「ノリ」はInstagramが最初でも最後でもない。FBの画面にタイムラインを導入したときもユーザから猛反発を受けたところ「いやまあ落ち着け」とかなんとか火に油を注いだりしていた。翻って先々週の投資家訪問ツアーに際してニューヨークのオフィシャルの場にパーカーで現れたりして大人の投資家達は皆怒っていたらしい。大丈夫、彼には大事な保護者がいて、彼女の名前はSheryl Sandberg、ハーバードMBA、元GoogleのVP Global Salesという猛者であり、現FBのCOO。いつもザッカーバーグの脇にいるので、今度テレビを見るときにはぜひ注目しておいて欲しい。

投資家に向けた手紙の中に「The Hacker Way」と称した彼の会社への想いが綴られたエッセイがある。曰く、「Hackerという言葉は一般にはコンピュータに侵入する人のことを指すことも多いようだが、我々は素晴らしい方法で問題を解決する人のことをハッカーと呼び、自らそうなるよう、そしてその素晴らしい手段で世界をオープンにコネクテッドにすることを使命とするものである」ということだ。もしかしたらHackerという言葉自体が投資家をはじめとするソフトウェアエンジニア以外の人には目新しく聞こえたかもしれない。しかしあなたの隣のソフトウェアエンジニアに聞いてみてほしいのだが、2012年のこの段階でHackerをこのように定義すること自体、少なくとも私からしてみれば「痒い」気がする。古く前世紀はRichard Stallman、今世紀初頭でもPaul GrahamなどがHackerをこのように定義しており、あまりに既知の事実であることからまた多くのHackerが自らのことをそのように名乗ったり再定義したりすることに若干の躊躇いを持つことが普通だと思う。それを堂々と公の場で発言できる彼は、何かそこに強いこだわりがあるように思う。
全てがその調子なのだ。ニュースでは語られないが、ザッカーバーグの行動を眺めていると、Hackerになれなかった自分に対するコンプレックスのようなものが見え隠れする。Googleでさえ、投資家訪問会の際にあわててネクタイを買って来たのだ。それが、エンジニア色の薄いザッカーバーグがフードで現れた。
考えてみれば、FBはハーバードで生まれた。ハーバードの人間は本当に優秀だと思うが、西海岸でエンジニアをしているという人はあまり知らない。風土も教育も全く違う。それでも彼がHackerコンプレックスを抱えるのは一体何なんだろうと考えさせられる。なぜなら、私自身が大学でほとんど計算機科学を学ばなかった「なんちゃって」エンジニアだからである。世の中には自分が全く敵わないレベルのエンジニアがわんさかいる、そういうことを痛感させられるのがこの土地のいいところでもある。それを悟ったザッカーバーグは2006年にはコードを書くのをやめた。その諦めが全く自分にも必要である。
ザッカーバーグはおそらくほんとうに(平均的なエンジニアレベルで見て)コードがかけない。が、フェイスブックはすばらしいエンジニアリング力を持つ会社であることは間違いがない。事実、ThriftやCassandraなどの強力な基盤技術を独自開発したり、MySQLの特にInnoDBをハックしまくっているおっさん(元Google)が在籍したりしている。何より光るのはPHPを高速化しましたというやつで、PHPというのは初心者がホームページを書くぐらいの努力で動的なアプリケーションを作れますという藁ような素材であり、初期のFB(あるいはザッカーバーグ)がそれを使ってとりあえず立てた藁の家を、後年、億単位で人が来るようになるにあたってレンガの家に立て替えずにすり替えましたという感覚。つまり、泥臭い技術がわかってる連中が揃っている匂いがするのである。そういう技術の感覚は、Bloombergで語られることはない。だからこそ技術センスを磨いておく必要があると思う。

何が言いたかったか。今回のIPOは典型的なシリコンバレーサクセスストーリーでありながら、技術やギークな話題にとどまらずお金の匂いがぷんぷんしつつ、ビジネス面でも葛藤と矛盾を多いに抱えた素晴らしいケーススタディだと思われる。Bloombergは技術ギーク面に乏しいし、TechChrunchはビジネスやお金の面で乏しい。両者のバランスをとったメディアがないので自分の中で少し纏めてみたというところだが、結論としては、ザッカーバーグ、そのコンプレックスは何ですかと小一時間ほど問いつめたい。