中国のインフラに見る意思決定の違い

先日北京に仕事で行ってきた。噂通りの大気汚染とグレートファイヤーウォール、英語の通じないタクシーにはなかなか骨が折れたが、久しぶりに新しい世界を体験できたのはよかった。

 

中でも北京の地下鉄には驚いた。清潔で近代的な地下鉄が北京中に張り巡らされており、巨大な北京の市内をかなり便利に移動することができる。タクシーの運転手には英語が全く通じないが、地下鉄には中国語と共に英語が併記されており漢字が読めない西洋人でも移動に問題がないし、プラットフォームには液晶掲示板が設置されていて現在時刻何時何分何秒まで表示され、次の電車まで何分というのがわかる。プラットフォームドアがあって転落の心配もないし、何より時間通りに電車がくるし本数が多い。ラインの乗り換えは多少歩かされるが、新宿駅のような迷路に迷い込むことはなかった。そして料金がどこまで行っても1回40円もしない(2元)のだ。

 

ホテルを市街の北西(IT企業が集まるエリア)にとっていたので少し北部を歩いたのだが、まだまだ開発は続いており、もう一つオリンピック会場を作るのかと思うほどの巨大な空き地が工事中だった。

 

北京でのある夜そんな話を同僚のインド人と高尚な中国茶を飲みながらしていると、彼が非常に興味深い話をした。曰く、インドも中国と同様巨大な人口を抱え驚くべきスピードで成長しているが、中国のインフラの質そして開発スピードはインドのそれにくらべて非常に高い。その理由は両国の意思決定方法によるところが大きいのだ。インドは30以上の異なる言語とそれに紐づく文化、宗教出身の人が集まっており、また徹底した民主的な政治なので何をするにも時間がかかる。合意を得るまでの議論のリードタイムが長いのだ。翻って中国は様々な民主化が進んでいるとはいえ、基本的にはまだまだ共産党がすべての意思を決定していくスタイルで、上がやれと言えば下はそれをひたすら完遂することに注力する。

 

もちろんこれは上の人間が正確な意思決定を行うことを要求するが、中国のような急速な発展を進める上では重要な要素かもしれない。ボロは出る。あの大気汚染はお世辞にも国民の健康によいとは言えない。それでも、優先事項を並べてやるべきことを順番に実行していくことで、インフラのような巨大な労働を必要とするタスクは次々にこなされていく。おそらくインドのどこかで今オリンピックのような巨大事業を行うのは難しいだろう。北京がオリンピック直前にすべての工場の活動を停止したのも、そしてそれができたのも、中国という国の意思決定システムに依るところが大きいと思う。そう言われてみると、今自分が相対している中国サイドのエンジニアも何かとオープンな議論を避ける傾向があり(避けるというより、単にその価値がわからないという可能性が高い)、自分の決定によって他者に邪魔されずに猪突猛進するスタイルでこれまで成功を納めている。

 

シリコンバレーのエンジニアはかなりの数が外国人だ。サンフランシスコのスタートアップのようなライトウェイトなところは中国人もかなり多いらしいが、自分のいるデータベースを開発するような会社には圧倒的にインド人が多い。データベースは古くからアカデミックで研究されてきているのと製品の性質上理論的な設計が大きくものを言うところもあり、ノリやトレンドよりも学術的な考察に基づく割合が比較的大きい。するとどうしてもPhDなどを取りに行くのだが、インドはIITをはじめとして教育システムが強力に出来上がっているのでIIT学士→アメリカのマスタのようなパターンも多くこの業界にはインド人が多い。そして自分のまわりも相当数がインド人である。

 

彼らは確かに議論を非常に尊重する。インドではコミュニケーションが崩壊していることが前提なので、自分の言ったことが相手に伝わっているかどうかよく確認するし、その他全員が理解しているであろうことも自分が理解できていなければ何の恥じらいもなく基本的なところから質問しなおす。それは非常にアメリカ的だと自分は思う。アメリカ人、特に西海岸出身の人間も同様に、例えば採用インタビューで候補者がこちらの出題をおかしな方法で解き始めたときに、それは本人の解法がおかしいと思うより先にまずはもう一度問題を理解しているかどうかを確認することなどもしばしばある。おそらく共通しているのは民主的な意思決定方法である。移民の国アメリカにおいては、例えばイタリア系移民とドイツ系移民が一つの合意に至るためには、日本のような「わかるよね」というようなコミュニケーションは存在しないし中国のような「俺が言ったことはすべて正しい」というようなやり方では国家が成立しない。おそらく多くのインド人がアメリカで上位に上って行くのも、英語という要素を除けばこの意思決定のDNAが近いことがあるだろう。

中国的な意思決定とアメリカ・インド的な意思決定のどちらが正しいかということはわからないし問うつもりもない。少なくとも我々のようなソフトウェア業界の流れとしてはオープンソースのような、時には時間がかかるけれども非常に開放的で民主的なシステムが多くの成功を納めているし長期的に見れば優れたデザインが出てくるのも事実だが、一方でiphoneのような独裁的な意思決定に基づく製品が短期間で世界を席巻することも少なくない。重要なのは、それぞれに異なるやり方があり、自分の相手がどのようなスタイルを取っているかを見極めることだと思う。そうすれば次の一手が見えてくると思う。