ITpro challenge 2008 で喋ってきた

昨年の参加に引き続き、今年もITpro challengeに行ってきました。

今年はネタもあったので自分も喋らせてもらうことに。
ライトニングトークスという、5分間一本勝負の電撃プレゼン形式。
やってみると、5分というのは意外に短くて、結果的には全部喋れませんでしたが、ポイントポイントで観衆の笑いがとれたのでそれはよかったです。
ただ、5分という時間で話をまとめる能力の低さに我ながら愕然。もっと内容を絞るべきだったかなと。今後の課題にしていきます。

そういう意味では、やはり「ギーク図書館」の人は年の功というか、安定性が抜群で観衆の印象にも残りやすかったようです。個人的にも一番面白いと思いました。

全体としては、miyagawaさんの話がとても印象深かったです。「Open」というキーワードで彼の今までの軌跡を聞けたのは貴重だと思います。あとは金子さん。自分もCGをやっていたりシミュレーションソフトに関わっていたので「プログラマではなくシミュレーション屋である」という彼の主張はしっくりきました。

全てのセッション、ライトニングトークスのクオリティが高くて今年も大満足でしたが、何より主催の日経BPさんに感謝。そして矢崎さんの夢を語るときのキラキラとした目は、忘れられないものになりそうです。

来年にも期待!

エロ目ジェネレータのすべて

水母の糸

私は、薄暗い海に漂う一枚の水母。
情報の触手を結び合った無数の水母のうちの一つ。
電子と情報で満たされた海に揺蕩う構成要素であり触媒でありまた外部インターフェイスでもある。

水母同士は触手を絡ませ合い電子を媒介として情報を伝達する。ソーシャルブックマークソーシャルネットワーク、リブログ、フォロー、それらの手段によって結び合い離れていくお互いの存在を意識的にまた無意識的に認めている。情報はどこで発生してどのようにして伝達し、どこで消えるのか? 別の次元から海に導入された情報は瞬く間に触手のネットワークを通じて地球を駆け巡る。その過程はまるで連続の式によって記述された流体のように非線形のバランスを保ちながら刺激され抑制され光を発したり闇を作り出したりしている。そもそも情報は発信されるものなのだろうか。発信と着信が曖昧になった海の中で、個々の存在の中にしかなかったはずの自我をも共有し始め、一つの共同意識を無意識的に発芽させ、別の次元へと回帰していく。

酸素が合成されプランクトンで満たされた海から人類が生まれたように、この情報の糸で満たされた海からもまた、別の生命体が生まれようとしている。

エンロン、フィデル

この週末、二本のDVDを見た。共に、ドキュメンタリー。嘘と誠を見分けるために敢えて量作品を選んだ、というのは大嘘で、英語の勉強になるかと思ってエンロンを選び、キューバ革命には目がないのでコマンダンテを選んだだけ。


一本目は、エンロン

ケネス・レイ、ジェフ・スキリング、アンディ・ファストウ、そしてルー・パイ。いかにしてその巨大企業をでっちあげ、売り抜けたか。そしてアメリカ全体を巻き込んだ嘘の塊。偽りが偽りを産む虚構の構造。アンダーセンをはじめとする会計監査、弁護士、メリルリンチJPモルガン・チェース、シティなどの証券会社、そしてジョージ・W・ブッシュ、アーノルド・シュワルツネッガーを含めた政治家。彼らすべてを金で取り込んだ砂上の楼閣。もっとも賢い人間とは、ルー・パイのように3億ドルを売り抜けてぬくぬくとハワイの地主となる人間ではないか。そう思わせる一品。

二本目は、フィデル・カストロに語らせたコマンダンテ

嘘偽りのない、フィデルの語り。これまで憶測や研究によって描かれたキューバ革命チェ・ゲバラの生き様については腐るほどの書物や映像があったが、この作品はフィデルが本当に語った物語をそのまま編集している。2002年の作品、ということは革命から43年。キューバ革命からキューバ危機におけるフィデルの立ち位置、その後の経済封鎖などを経て、フィデル自身が何を考え、何を実行したか。そのすべてが詰まった良作。

フィデルの偉大さは言葉にすることもできないが、奇遇にもエンロンと見比べることによってより感動を生んだ。40年以上の歴史を経て、真実を貫き通した一人の革命家。その姿勢はいくつもの彼の語りによって示される。

歴史とは相対的なものだ。

私は私自身の独裁者であり、また国民の奴隷である。

今まで1秒たりとも、他人からどう見られるかということを省みたことはない。

人が作り出したものは何も信じない。

もう一度生まれ変わるとしても、また同じ人生を歩むはずだ。

キューバとアメリカ。その偉大さにおいてどちらを選ぶべきかは見る人それぞれに任せるとしても、エンロンが巨額のマネーを罪なき一般庶民から吸い上げている間に、キューバが貧困にあえいでいた事実は皮肉に値する。


そういえば、来年は2009年。1959年の記念すべき革命から50周年となる。そこにはもはやフィデルもチェも舞台から去ってはいるが、最後にチェの言葉を思い出しておこう。

Patria o muerte. Hasta siempre.
- Che Guevara

秋葉原事件の2つの側面

秋葉原事件に思ったこと。

あの事件には、2つの側面があったということ。その2つの側面というのは、お互いにとても似ていて、あの事件にとてつもないリアリティを与える要因になっていると思う。これまでもたくさんの残虐な事件が発生しているが、あの事件はこれまでのどの事件よりも身近に思える。少なくとも自分はそうだ。

その側面の1つは、「被害者になっていたかもしれない」ということ。日曜日の秋葉原といえば、暇ならちょっと出かけてみようかなという場所の一つだ。秋葉原は平和でカオスなので、たまに遊びに行くのはとっても楽しい。だから、当日の午後に何気なく会社に来てネットで事件のことを知ったとき、恐ろしいと思った。ちょっと朝の気分が違えば、ちょうど昼ごろ秋葉原に寄ってから会社にきていたかもしれないから。ネット住人が集まるTwitterはてなでは、同じようにして不安を訴える人がたくさんいた。

もう1つの側面は、「犯人になっていたかもしれない」ということ。多くのマスメディアでは「理解不能」や「異常値」として扱われている犯人だが、ネット界隈では「意外とフツーのやつだったのか」という結論に達しつつある。今でこそ何とか職を得ている自分だって、学生のとき金がなくてバイトの面接に行く交通費すら出ない、という状況もあった。そこで友達も彼女もいない、部屋に転がって携帯で怒りをネットにぶちまけていれば、ナイフを持って思い切ったことをしたいと思うのもよくわかる。別に小さいころから動物を猟奇的にいじめるのが好きだったとかそういうことはなくて、普通に小中学校に通いそこそこ部活で運動をしたりしながらだんだん自分がこの世の中に適合できていないことを思い知らされてきて、周囲の人々からも(たまたま)冷たくされ、(たまたま)仕事というプライドも崩され、何の望みもない、閉塞感だけがある状態になれば、きっと同じような気持ちになる。あとはタイミングとかバイオリズムとかそういうものがルーレットのように回ってビンゴしちゃうかどうかだ。しかも犯人は自分と同い年である。

そんなわけで事件にとても親近感を持ってしまう。初めは1つめの側面だけが自分を不安にしているのだと思った。しかしネット界隈の興味深い話を読んだり、何とかして異常というレッテルを貼ろうとしているワイドショーを眺めたりしているうちに、2つめの側面が見えてきた。


何となく、小説「罪と罰」を思い出す。

コンピュータリソースのコモディティ化

umitanuki2008-06-09

シリコンバレーで投資事業を行っているDaveさんのブログより。

Cloud ComputingのPlatform事業をよくUtility関連事業(電力事業やガス事業、電話事業等の半公益事業)と比較する論調が散見されるが、これら事業には決定的な相違点があると思う。それは、例えば電力事業が取り扱うのが「電気」そのものであるのに対して、コンピュータが取り扱うのは単なるビット列のみにあらず、その写像としてコンピュータ上の再現されるビジネスプロセスそのものである、という点だ。

Dave's Blog: Infinity Ventures Summit 初日 in 札幌 ~ Cloud ComputingとWeb Service

否。

Cloud Computingの行き先は、コンピュータリソースのコモディティ化だと信じている。

一応一般向けに解説しておくと、今、Googleなどの巨大企業はコンピュータをたくさん集めて、コンピュータの集合を一つのコンピュータのように扱う方向にある。このコンピュータの集合が雲(インターネット)の向こうにあって、システムの構成などに気にせず利用できることを、クラウドコンピューティングと呼んでいる。詳しい説明はクラウドコンピューティング - Wikipediaの方が説明がうまい。

で、Daveさんの主張は、Cloud Computingの未来予想として、電力会社が電力のみを供給するのとは違い、Cloud Computingの提供者がその上で動くプロセス(アプリケーション)にも責任を持つから、これを比較してはいけないというもの。

確かに現状を見ればそうかもしれない。GoogleのコンピューティングはGoogleにしか使うことができない(一部を除き)し、Googleが考えたアプリケーションが優れているから、彼らにincomeがある。
しかし、Cloud Computingの行く末は、そんな小さなものではないと思う。

いずれは地球上にあるコンピュータが自律分散的につながり、個人がこの一部を利用できるようになると思う。そうすると、Cloud Computingの持ち主というのはいなくなり、個人や小企業が考えたアイデアをこの上で走らせるようになる。ただ、コンピュータリソースは無限ではないから、これを確保・調達する必要がでてくる。世界のどこかのアイドル状態のコンピュータがこの調達に応えてリソースを提供する。まさにコモディティとなるわけだ。石油を輸入するのと同様に、コンピュータリソースを調達する。ではGoogleのようなビッグプレイヤーはどこへいくのか。

このCloud Computingの世界の交通整理をするのである。コンピュータリソースを必要とする人へこれを届ける。このマーケットを監視しコントロールする。使った人から対価を調達し、リソースを提供した人に分け与える。需要と供給をプライスマッチさせる。このインフラを整えた者が、使用料・通行料を利用者から徴収する。最適化された社会では、インフラを提供する者が勝つのだ。

と気合いを入れて書いてみましたが、まあ、これがいったいいつ可能になるのか正直全くわかりません。コンピュータの下の方を知れば知るほど夢物語のようにも思えます。ただ、それはGoogle以前にGoogleを夢想したと仮定すれば同じ話。ありそうもないことが実現するのがこの世の中。

お、そういえば

PostgreSQLにパッチ送った。初めてオープンソースにパッチ送って取り込まれた。といっても右も左もわからなかったのでほとんど直されたしドキュメントとか書かなきゃいけなかったのに書いてなかったから全部書いて貰った。コミットしたっていうんかなー。まあいいか。